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珈琲記

敬愛するコーヒー研究家、井上誠氏の著書より題を借り、私もここに、私が愛したコーヒーを記そうと思う。

Chapter.3 - 我真

コーヒーという飲物は、ただの液体ではない。

その液体として完成し、提供されるまでのコーヒーとしての歴史を、すべて清純に映し出す。

そのコーヒーができるまでのどの過程においても、携わる人たちが素直に反映されるのであって、例えば焦りや怒りに支配されていたり、あるいは負の感情に苛まれていたりすると、それ相応のコーヒーが出来上がる。

そうならないためには、ただただ静かな心持ちで、コーヒーというものの全てと接してやることが肝要である。生豆を管理するところから、ハンドピック、焙煎、抽出に至るまでの全てが重要なファクターであり、そのどれにおいても、常に求めるコーヒーのイメージを描きながら、向き合わねばならない。少なくとも私は、そう確信している。

そうしてはじめて給されるコーヒーに、啜る人は癒され、あるいはそのコーヒーを自身の拠り所とするのであろう。

 

求める者に、この飲物は寛大である。広く受け止め、愛するのである。

だからこそコーヒーは、その存在を広く、しかし真なる価値を細々と、今日まで確実に絶やさずにきたのである。

長い歴史の中で、その真価を紐解かれたコーヒーは、そのいずれにおいても糾弾されてきた。しかししっかりと地についた根は、何度刈り取られても、その生命の息吹を幾度となく吹き返してきた。

 

今は「コーヒー」という飲物に限らず、多様なものにおいてその価値が低く見られ、コストと対にして天秤に乗せられる。

しかしそんな低迷した時代だからこそ、コーヒーの真価が再び芽吹く日が、確実に来るであろうことの証明であることを、私は願ってやまない。