珈琲記

敬愛するコーヒー研究家、井上誠氏の著書より題を借り、私もここに、私が愛したコーヒーを記そうと思う。

Chapter17. ブラウンカラーに思いを寄せて

■ぶつぶつ、ぶつぶつと呟けば

しばらく放っておいた間に、このブログを紹介してくれた方がいたらしく、いや成程これは放っておいてはいかんと筆をとった次第である。

 

取り上げてくれた方のブログには、曰くこのような言及をされていた。

コーヒー豆を焙煎する休日も楽しいものです。 - ネガティブ方向にポジティブ!

>歴史を紐解きながら数あるコレクションの写真を眺めていると、美術館で解説員の話を聞きながら絵を楽しむような感覚になります。

>優雅なブログだな、と私は感じました。

(id:uenokoeda 様、ご紹介下さりありがとうございます。)

 

……なるほど、コーヒーの話をし始めると四方から殴り合いが始まるので、敢えて避けてコーヒーカップについてばかり話していたのだが、それはそれで「コーヒーカップのブログ」と思われてしまうらしい。

などと思って自分の過去の数少ない投稿を見てみれば、当然というか、ほぼほぼコーヒーカップの話ばかりである。

 

ではたまには、……。

いや、ここはいつも通り、コーヒーカップの話をしよう。

 

■古き佳き色合い

 昭和の日本の喫茶店といえば、大抵は「日本の器」か「西洋の器」のどちらかに傾倒していた。

片一方では「有田の三右衛門(柿右衛門窯/今右衛門窯/源右衛門窯)」なんかが神聖視されていた。

そしてもう片一方で人気だったのが、その当時深煎りのデミタスや、少量の濃いコーヒーなんかが好まれていた頃、深い木目調のカウンターに添え置かれるロイヤル・コペンハーゲンのブラウンカラーだった、らしい。

 

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 ・RoyalCopenHagen Blown Rose - 当時の喫茶店の定番中の定番だ。

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 ・RoyalCopenHagen Blown Iris - Irisとは菖蒲(アヤメ)のこと。

 

この美しいブラウンと、気品のあるくすんだ金彩は、老若男女問わず珈琲を愛する日本人に好まれた器だった。

そして、今も一部のコーヒーカップ愛好者のあこがれであり、古き佳き珈琲を愛する我々のひとつ大切な物語の一片なのだ。

 

■ハンドペイントに見る、器のありかた

突然だが、世の中には「器といえばハンドペイント!転写は悪!許さんぞ!」などと声を大にして喚き散らす殿方、奥方がいらっしゃる。

私はそれぞれの器に、意味と意義があって佳しと考える人間なので、転写などにはまったく抵抗はないのだが、今日は敢えてハンドペイントについて少し考えてみようと思う。

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 ・美しい茶色のバラ。豪華ながらも邪魔しない金彩の葉をつけている。

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 ・反対側。柄の入り方から、この器が右手で持たれるべきとわかる。

 

ハンドペイントとは、当然であるがなめらかにカーブを描くこの器に、筆描きで絵付けが行われているという意味であり、絵付けを行う人がいるということだ。

器の柄が工業化や近代化によって人の手を(文字通り)離れていくまで、器とは人の絵付けとともにあった。(というか、誤解のないように書き記しておくと、今でもまだ人が人の手でペイントをしている窯も多い。コペンハーゲンも然り、例えばヘレンドやアウガルテンなんかもそうだ)

 

故にその花は描いた人間によって当然表情が異なるし、同じ描き手でも1つとして全き同じものは存在しない、ということで、ハンドペイントの器を求めるということは、自分の気に入った表情の器との出会いの場を得るということでもあるのだ。

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 ・こちらはハンドペイントの菖蒲。ブラウンの濃淡と、アクセントの紅が美しい

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 ・この菖蒲は、力強くも繊細な濃淡が感じられる

 

力強く描かれた印象の深い花や、今にも消え入りそうな鳥や虫……。

同じテーマで描かれた器の柄でも、選び始めるとなかなかこれが決まらない。

そんな中で、自分の感性にピッタリきた器があれば儲けものだし、背筋に電撃が走れば一生に一度あるかどうかの幸福だ。

 

……と、ハンドペイントの器というのはかくのごとく、いわば究極の自己満足であり、自己表現である。

そしてそれがコーヒーという液体のみならず、食器という文化として歩んできた焼き物の一つの個性だ。

 

ハンドペイントの器を至高とする殿方・奥方各位は、この崇高なエゴイズムの虜であるか、または単に「価値が高そう」などと考える程度の思考力しか有していないか、の二択だろう。

 

■ブラウンローズに口付けて

暗い店内で、柔らかなかおりに誘われ、静かにカップの縁に口をつける。

薔薇の棘が刺さったような気がしてちくりと痛むのは唇ではなく、きっと珈琲を飲み込んだ後の胸の奥だろう。

 

Hank MobleyのRecado Bossa NovaなんかをBGMにして、今宵は思い出の中のあの子へ、セピア色ともとれぬブラウンカラーのバラを届けに行くのも、悪くないのかもしれない。

 

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