Chapter21. フリードリヒ大王によろしく
■Introduction - ドイツの器
ドイツの白磁器、陶磁器というとどの窯を思い浮かべるだろうか。
有名どころでいけばやはりマイセンは外せないだろう。王立ザクセン磁器工場から始まり、ドイツ白磁器の陰と陽、どちらの歴史にも名を深く刻む歴史的な窯だ。
他にはというと、フランソワ・ボッホが立ち上げ、のちに同業他社であったビレロイと統合して現在まであるビレロイ&ボッホなんかも、ハプスブルク家の援助を受けて王室御用達窯として成長した名窯である。
カルル・フッチェンロイターにより開窯されたフッチェンロイターもまた外せない。当時窯を拓いたバイエルンには、既に王立の窯(ニュルンベルク王立窯)が存在していたためにバイエルン政府から開業許可が下りなかった。しかしカルル・フッチェンロイターは諦めず、当時のバイエルン王であったマクシミリアン1世に懇請し、見事に口説き落とした。それ以降……
おっと、つい熱がはいってしまった。
今日はマイセンでもなく、ビレロイ&ボッホやフッチェンロイターでもなく……この窯の話をしようと思う。
■ドイツの王笏
神聖ローマ帝国には、ローマ王を選出するための選定権を有する諸侯(謂わば貴族のことである)、すなわち選帝侯という役職が存在した。
その選帝侯が1人、ブランデンブルク辺境伯の紋章あるいは国章(当時の神聖ローマ帝国ブランデンブルク辺境伯領における国章のこと)には、王冠を被った炎のように赤い鳥が描かれていた。その鳥は王とされ、王はその両脚に剣と笏を握っていた。
そんな王笏をマークとして持つ、ドイツの名窯がKPMだ。
正式名称は非常に長く、「Königliche Porzellan-Manufaktur Berlin GmbH; KPM Berlin」となる。
これを日本語訳すると「ベルリン王立磁器製陶所」だ。以降はKPMと呼称を統一する。
KPMの始まりは1763年9月19日、第3代プロイセン王であるフリードリヒ2世によって創立される。この一文で分かる通り、KPMはバリバリの王室製陶所である。
ところでフリードリヒ2世というと、その類稀なる才能と功績、そして芸術領域への才能も含め万能と称えられ、フリードリヒ大王と呼ばれたことで有名なその人である。
そんな彼に私も敬意を表し、以降はフリードリヒ大王と呼称を統一する。
フリードリヒ大王は開窯に際して、KPMの製品マークとして上記の王笏のマークを与えた。コバルトブルーが美しいその王笏のバックスタンプは、KPMが製造するすべての製品に付与された。
これは王室製陶所であるKPMが、その品質を保証するという意味でもあった。
■器の権威、帝国宝珠
宝珠というのはご存じだろうか。
西洋でいう宝珠というのは「十字架がついた上部についた球体」のことを言い、東洋の宝珠とはまた違うものである(東洋の宝珠といえば、仏教における如意宝珠を指すことが多いだろう)。
少し宗教的な話になってしまうが、この宝珠とはその発祥から現在に至るまで、キリスト教における権威の象徴である。そして同時に、これを一国の主が手にすることで、王権の象徴ともなった。即ちレガリアである。
さて、話戻って。
王室製陶所であるKPMは、先に記した通りその品質の保障に王笏を用いた。
KPMの白磁の器は好評を博した。しかしその一方で、その器の上に個人が絵付を行い、KPMの器を騙って販売されるという事態も発生した。
そういった事態も鑑みてか、KPMは1803年以降、KPMの絵付であることを保証するために新たに器のバックスタンプにマークを付与することとした。
それが、王室特権を示す宝珠――プロイセン王国の帝国宝珠である。
絵付を行っていない白磁器には付与されないそれは、王笏とセットでバックスタンプとして扱われた。
KPMの美しい器は、王の象徴と権威、その2点を以て初めて正しくKPMで製陶・絵付の行われた器であると証明されるのだ。
■ドイツの植民地、クールラント(Kurland)
このブログの読者の皆さんは、クールラント(Kurland)という地域をご存じだろうか。
現在のラトビア共和国(Latvijas Republika)にあたる地域なのだが、古くは――具体的には、1237年にドイツ騎士団に攻め込まれて占領されて以降、ドイツの植民地であった。
この記事で詳しく歴史を掘ることはしないが、KPMにはこのKurlandの名を冠する器がある。
ここまで長々と書いてきたが、この記事の本題はそれだ。
Pic.1: KPM Kurland Gold Dekor. 19ü : バックスタンプから、この器は1962 - 1992までの品であることがわかった
シンプルな金彩のこの器は、然して得も言われぬ気品がある。
KPM Kurlandはいくつも絵付のパターンがあり、より鮮やかな絵付の施されたKurlandシリーズは、日本のバブル期に大量に輸入され百貨店などで人気であったという。
一方でこのKurland Goldは、いくつかある絵付のパターン(この器は19番、Dekor. 19üの絵付けパターンである)のすべてが正規のルートでの日本未入荷品で、なかなかお目にかかれないらしい。
先に記載した内容から、この器の醸成する気品が単にこの金彩の艶やかな筆遣いからのみ発されているわけでないことは、読者にはお分かりであろう。
Pic2. バックスタンプ。KPMであることを示す "王の象徴と権威"
これだ。
このKPM足らしむ証が、この器に確かな格を与えているのだ。
ちなみに余談であるが、帝国宝珠は絵付の種類に応じて色が違う。
花や風景を描いた絵付、あるいは色彩の華美な絵付には赤い宝珠を、赤色を主とした絵付の器には青い宝珠をバックスタンプに付与する。
ではこのKurlandの緑の宝珠は何かというと、これらに該当しないもの――特に花の絵付でない器につけられる。
KPM Kurlandの器の象りに触れてなぞると、モチーフとしているのがKurlandの宮殿の造形であることがわかる。それゆえに緑の宝珠なのだ。
植民地を経て、一時期はその植民地から生まれた子孫たちで独立までしたこの地域の名を、ドイツの王は忘れてはならないのだろう。それゆえに、KPMはこの器を作りあげたに違いない。
■フリードリヒ大王によろしく
Pic3. 珈琲を注ぐと、器の良さが一層引き立つ
KPMの焼き物はすべて、非常に高温で焼かれる。
この器の白磁は透き通るようで、それでいて珈琲を注げばその色の対比に感じ入り、歴史に思いを馳せてしまう。
確かに息づく王の権威とその責は、KPMが焼く器のすべてに根付いている。
珈琲を啜りながら、フリードリヒ大王に「よろしく」と心の中で呟くと、カップをソーサーに置いたときに静かな、それでいてよく響く高音で返ってくる。
それが何を意味するかは、KPMの器で飲み物を嗜む、その人々の心に依るところであって、誰一人として同じ解をもたない"何か"なのだろうと思う。
■余談
この記事はそもそも、去年の年度末くらいまでに書き起こしたかったもので、もうすでに1年以上の月日を経ている。
いい加減、この怠惰な性格・性質はなんとかしないとなぁと切に思う。
Chapter19. 年納め、珈琲納め
■ゆく年2017
ゆく年、激動の1年だった。
僕は毎年、平穏無事に過ごせていない気がする。
今年は本厄だったこともあって日本人としては気が気ではなかったし、
色々とあった不幸はすべて本厄のせいにしておいた。
うちのコーヒー納めはオータムバインでした。彼女はオズボーン pic.twitter.com/qbRlhGDkhr
— 桜次郎 (@oujiro_coffee) 2017年12月31日
コーヒー納めはこの通り済ませた。
今年は友人である @cojilo 君が来て、年末年始を共にする算段で、
しかし現時点で両者ともに結構酔っている。
「ゆく年くる年ありがとう!どんな時でもアタシはネバーギブアップよ!」と
どこかのマシンガンが言っているように、
僕もこういった気持ちで新年に臨んでいきたい。
■くる年2018
くる年、2018年も激動の年になるだろう。
今年は目標も多いので、それらをどれだけ消化できるかが肝要だ。
頑張っていきたい。
2017.12.31 Oujiro Mameya
Chapter18. 深煎りの魅力をもとめて
※ちょっと本題までが長いですが、この記事は珈琲豆屋さんの紹介記事です。
※ダラダラと長文・支離滅裂で申し訳ありませんが、以下同文。
■嗜好性としての珈琲
私が敬愛する昭和の珈琲学者、井上誠氏は自著「珈琲の書(柴田書店)」の「はじめの言葉」にて、次のように書いている。
―――――――
コーヒーは長い間ヴェールを覆って、容易に人の前に現わさなかった。だが、その面(おもて)を包む布の下の凝視する目に気づき、温もった息吹きの洩れてくるのを感じ取って手を伸べたとき、いくらかあとずさりしながらも身を投げて来た姿態は、香りをたてて人の心をゆさぶるものであった。
それはおおよそ約束などという、わだかまりのあるものではなく、結合のしるしを示す言葉であった。それから人は、コーヒーを離さなくなった。手に入れたコーヒーは数限りなく子供を産んだ。それはちょうど人の数と同じほどであった。コーヒーの極まりは、みなその人にあるといえる。
―――――――
私はこの「はじめの言葉」が好きだ。
人間がコーヒーに寄り添い、コーヒーが人間の営みの背景をして人々を見つめて、そうしてコーヒーがあってからの今日までの歴史がある。
少し話は逸れるけれど、コーヒーをめぐる歴史については、さまざまな書籍にて確認ができるが、現在であれば以下がおすすめだ。
珈琲の世界史(講談社現代新書) - 旦部 幸博 著 (Amazonリンク)
上記に挙げた昭和の珈琲学者である井上氏に対し、旦部氏は平成の珈琲学者と呼ばれている、現代の珈琲フリークでまずはじめに名前が挙がる人だ(と、私は認識している)。
さて、話を戻すが、この「はじめの言葉」の一番最後に、珈琲という嗜好品について一番大切なことが書いてある。つまりは、「コーヒーの極まりは、みなその人にあるといえる」ということだ。
昨今、珈琲豆の均質化、全体的な品質の担保を名目に(というのは一部の理由でしかないけれど)、スペシャルティというジャンルの”人の手が過分に加わった”珈琲豆たちが台頭してきた。
それに伴って、それらの豆の焼き加減も均質化され(厳密にはそう指示されたわけではないが、スペシャルティを焙煎する店はどこも一定度のミディアム・ローストに抑えて売る傾向が見受けられる)、「様々な比喩」で例えられる風味を佳しとし、それ以外の豆について蔑視するような声まで聞こえてくる。
それは、深煎りの苦い、鼻を抜ける香ばしい香りが好きな私からするととても残念な流れであって、そしてやはりコモディティの豆もまた魅力と考える私からすると、とても残念な流れであった。
■「深煎り」という嗜好
私が敬愛する昭和の珈琲学者、井上誠氏は自著「珈琲誕生(読売新聞社)」の「序詞」にて、次のように書いている。
―――――――
珈琲の飲料は見るからに
黒くて苦い
それはいかにも直接な
それ自身の素顔であった
(後略)
―――――――
私は、この時代の井上誠氏が描く「珈琲」という液体は、この詞に集約されているのだと考える。
つまりは深煎りの黒々としたうつくしい豆を煎る人間がそこにあって、それをやはり丁寧に、液面が鏡のような珈琲を点てる人間があった。
それが珈琲という液体の本質だ、と彼はそこで言っていた。
日本の珈琲文化の中で、自家焙煎の深煎りが愛された一幕があった。
それらは家庭に簡易に飲める珈琲という文化が染み込み、緩慢なときの中で、その日を迎えるまで停滞していた。
しかし食事を主とするカフェが標準化していき、大きな国から「シアトル系」と呼ばれる異文化が持ち込まれると、その文化は一気に壊滅した。
それからサードウェーブと呼ばれる「珈琲それ自体の嗜好性を高級化・ブランド化した(本義は違うが、少なくとも日本のサードウェーブにあやかる各位はこう感じているのではないだろうか)」珈琲が出てきて、完全に深煎りの珈琲というのは、古臭い、苦いだけの珈琲だと評価されるに値しないところまで蹴り落されたのである。
しかし、どうにも私は、その「苦いだけ」と世間で言われる珈琲に、その香味に、その口に含んだ瞬間に、どうしようもない魅力と安寧を得るようだった。
「コーヒーの極まりは、みなその人にあるといえる」、つまりはそういうことで、どうやら私は「見るからに 黒くて苦い」珈琲を愛しているようだった。
■深煎りの魅力をもとめて
その店は東京の武蔵境にかまえている。
はた目には気づきづらいが、近くを通るとどうにも言いようのない、香ばしい香りが鼻をつく。
それは珈琲豆を焙煎しているときなんかだと特に顕著で、自然と足が向いてしまう、そんな魅力を持った香りが鼻孔をくすぐるのだ。
そのお店の名前は「なつみ珈琲店」という。
Pic.1 - なつみ珈琲店さん。夜の暗い中で撮ったので、見づらい
Pic.2 - 店内はまさしく「珈琲を焙煎するための場所」といった趣。直火の焙煎窯が目をひく
なつみ珈琲店さんは、深煎りの豆を主に扱うお店だ。
中煎りのものも最近は扱うというが、店主さん曰く「やはり深煎りがいい」。
豆の説明も丁寧で、ひとつひとつどのようなものか話してくれる。また、嗜好を話すと、その人の嗜好性に近しいコーヒー豆をオススメしてくれる。
しかし、その豆の本質自体は「自分で飲んでみて」ということで、焙煎した豆で語るのだ。
彼の焙煎する深煎りの豆は、そう――丁寧でいて繊細に、「それぞれの豆の個性を殺さない」焙煎だと、私は感じている。
それは「黒くて苦い」珈琲であって、しかし「苦いだけ」でない、最上の深煎りだ。
■「喫茶店」ではない
小題通り、なつみ珈琲店さんは喫茶店ではない。
つまりドリンクメニューもないし、フードメニューもない。
季節のケーキやスイーツなんてものもない。
おいしい珈琲豆をもとめる人のために、おいしい珈琲豆を焙煎して、おいしい珈琲豆を提供する。ただそのために、とてつもない努力とこだわりを惜しまない店だ。
だから最終的に、ソレを楽しみ、価値を決めるのは購入した自分自身であって、それはすなわち「みなその人にあるといえる」コーヒーを得るための、自分との対話である。
Pic.3,4 - 購入した珈琲豆は、当然だが持ち帰り自分で淹れる
Pic.5 - コロンビア・クレオパトラ。丁寧な深煎りの美しい豆であることがわかる
Pic.6,7 - 抽出した液体は琥珀よりは黒く、透き通って美しい。片面起毛のフランネルで抽出した
■コーヒーの極まりは……
結局のところ嗜好品、何度も書いているようにそれはみなその人にあるといえるのだ。
だが、さまざまな珈琲を識らずして、自身の嗜好性を狭めてしまうのは極めてもったいない。
様々な豆があって、抽出があって、シーンがあって、そしてそこには珈琲という液体がある。
私はこの「丁寧な深煎り」の扱うなつみ珈琲店さんの豆を、珈琲について敬虔な諸氏のみならず、珈琲についてあまり興味のなかった人についても、ぜひひろく試してみていただきたいと思う。
<本日紹介したお店>
なつみ珈琲店
住所:東京都武蔵野市境2-7-2 センチュリー雅1F
電話:0422-56-9281
営業時間:13:00頃~20:00、日曜日のみ18:00まで
定休日:不定休
Twitter:なつみ珈琲 Blessed Time (@blessedtime2001) | Twitter
※2017/11/15現在はTwitterでの営業情報提供が主とのこと
Chapter17. ブラウンカラーに思いを寄せて
■ぶつぶつ、ぶつぶつと呟けば
しばらく放っておいた間に、このブログを紹介してくれた方がいたらしく、いや成程これは放っておいてはいかんと筆をとった次第である。
取り上げてくれた方のブログには、曰くこのような言及をされていた。
コーヒー豆を焙煎する休日も楽しいものです。 - ネガティブ方向にポジティブ!
>歴史を紐解きながら数あるコレクションの写真を眺めていると、美術館で解説員の話を聞きながら絵を楽しむような感覚になります。
>優雅なブログだな、と私は感じました。
(id:uenokoeda 様、ご紹介下さりありがとうございます。)
……なるほど、コーヒーの話をし始めると四方から殴り合いが始まるので、敢えて避けてコーヒーカップについてばかり話していたのだが、それはそれで「コーヒーカップのブログ」と思われてしまうらしい。
などと思って自分の過去の数少ない投稿を見てみれば、当然というか、ほぼほぼコーヒーカップの話ばかりである。
ではたまには、……。
いや、ここはいつも通り、コーヒーカップの話をしよう。
■古き佳き色合い
昭和の日本の喫茶店といえば、大抵は「日本の器」か「西洋の器」のどちらかに傾倒していた。
片一方では「有田の三右衛門(柿右衛門窯/今右衛門窯/源右衛門窯)」なんかが神聖視されていた。
そしてもう片一方で人気だったのが、その当時深煎りのデミタスや、少量の濃いコーヒーなんかが好まれていた頃、深い木目調のカウンターに添え置かれるロイヤル・コペンハーゲンのブラウンカラーだった、らしい。
・RoyalCopenHagen Blown Rose - 当時の喫茶店の定番中の定番だ。
・RoyalCopenHagen Blown Iris - Irisとは菖蒲(アヤメ)のこと。
この美しいブラウンと、気品のあるくすんだ金彩は、老若男女問わず珈琲を愛する日本人に好まれた器だった。
そして、今も一部のコーヒーカップ愛好者のあこがれであり、古き佳き珈琲を愛する我々のひとつ大切な物語の一片なのだ。
■ハンドペイントに見る、器のありかた
突然だが、世の中には「器といえばハンドペイント!転写は悪!許さんぞ!」などと声を大にして喚き散らす殿方、奥方がいらっしゃる。
私はそれぞれの器に、意味と意義があって佳しと考える人間なので、転写などにはまったく抵抗はないのだが、今日は敢えてハンドペイントについて少し考えてみようと思う。
・美しい茶色のバラ。豪華ながらも邪魔しない金彩の葉をつけている。
・反対側。柄の入り方から、この器が右手で持たれるべきとわかる。
ハンドペイントとは、当然であるがなめらかにカーブを描くこの器に、筆描きで絵付けが行われているという意味であり、絵付けを行う人がいるということだ。
器の柄が工業化や近代化によって人の手を(文字通り)離れていくまで、器とは人の絵付けとともにあった。(というか、誤解のないように書き記しておくと、今でもまだ人が人の手でペイントをしている窯も多い。コペンハーゲンも然り、例えばヘレンドやアウガルテンなんかもそうだ)
故にその花は描いた人間によって当然表情が異なるし、同じ描き手でも1つとして全き同じものは存在しない、ということで、ハンドペイントの器を求めるということは、自分の気に入った表情の器との出会いの場を得るということでもあるのだ。
・こちらはハンドペイントの菖蒲。ブラウンの濃淡と、アクセントの紅が美しい
・この菖蒲は、力強くも繊細な濃淡が感じられる
力強く描かれた印象の深い花や、今にも消え入りそうな鳥や虫……。
同じテーマで描かれた器の柄でも、選び始めるとなかなかこれが決まらない。
そんな中で、自分の感性にピッタリきた器があれば儲けものだし、背筋に電撃が走れば一生に一度あるかどうかの幸福だ。
……と、ハンドペイントの器というのはかくのごとく、いわば究極の自己満足であり、自己表現である。
そしてそれがコーヒーという液体のみならず、食器という文化として歩んできた焼き物の一つの個性だ。
ハンドペイントの器を至高とする殿方・奥方各位は、この崇高なエゴイズムの虜であるか、または単に「価値が高そう」などと考える程度の思考力しか有していないか、の二択だろう。
■ブラウンローズに口付けて
暗い店内で、柔らかなかおりに誘われ、静かにカップの縁に口をつける。
薔薇の棘が刺さったような気がしてちくりと痛むのは唇ではなく、きっと珈琲を飲み込んだ後の胸の奥だろう。
Hank MobleyのRecado Bossa NovaなんかをBGMにして、今宵は思い出の中のあの子へ、セピア色ともとれぬブラウンカラーのバラを届けに行くのも、悪くないのかもしれない。
Chapter16. 神の門
■太陽の雄の子牛
紀元前は18世紀、神の門と名を冠した都市が存在したという。
ひろくユーフラテスの川を跨ぎ繁栄したとされるその都市は、「バビロン」といった。
古代メソポタミアの神話に、「マルドゥク」という男神が描かれている。
マルドゥクは木星を守護する神であり、太陽の神であり、また呪術に祀られる神であり、そのほかにもさまざまなもの・ことにまつわる神であった。
その容姿も多様であり、ゆえに禍々しいといわれている。
マルドゥクは「バビロン」という都市の神とされ、彼への信仰で平和と豊穣を得るとされた。
■平和の象徴
私が好きなWedgwoodは、器の柄を描く際に何かテーマを決めないと気が済まないらしく、それは100年前も、50年前も、30年前もそうだし、現代もそうらしい。
Wedgwoodの「バビロン」は1970年代から80年代に作られたが、その特徴的な色合いとエキゾチックな雰囲気で、日本で大人気のうちに廃盤となった。
・ Wedgwood Babylon - ターコイズカラーと翠色が美しいこの器は、大変な人気であった。
インターネットの台頭により、廃盤品が流通しやすくなった現在でも在庫はなかなか出てこない。
・鳥の顔が間抜け。
バビロンの鳥は平和の象徴とされた。
この器に平和の願掛けをするのも一興、日本の八百万の神にマルドゥクが含まれているとは思えないが、そこはさしたる問題ではない。
■オチはない
なかなか手に入らない器なので、入手報告というだけだったのだが、ただ書くだけだと面白くないので、器の名前の由来をおさらいした次第だ。
この器で深煎りのコーヒーを飲みながら、かつて栄華を極めたというメソポタミアの都市に思いを馳せる――太陽の神には申し訳ないが、そんな夜もあっていいだろう。
なお、呪術の供物にはしないよう、くれぐれも注意したい。
Chapter15.アルミニアの面影
■ロイヤルコペンハーゲン史に思いを馳せて
皆が思い浮かべる北欧の食器といえば、まずおそらくは出てくるロイヤルコペンハーゲン。この窯は現在も洋食器のなかで強い人気を誇るブランド窯のひとつで、控えめで素朴な王冠のかわいらしいロゴが特徴だ。
王冠(ロイヤル)というと、やれロイヤルドルトンだ、ロイヤルウースターだ、ロイヤルクラウンダービーだと、いろいろとあって混乱してしまう人もいるらしいし、私も実際最初期はそうだった。
さて、このロイヤルコペンハーゲンだが、有名な話だと例えば同じデンマークで切磋琢磨したこちらもブランド窯「ビングオーグレンダール」を買収統合した、なんて話は意外と有名。
ビングオーグレンダールというと、かわいらしいカモメが描かれた淡い水色の器が有名で(シーガル)、しかしこの器は買収統合されたのちにコペンハーゲンのバックスタンプで再生産して輸出するなどしたものだから、日本なんかだとみんなコペンハーゲンの器だと思っていたりするものだ。
あとはロイヤルコペンハーゲンのブルーが、伊万里焼の染付からくるものだとか、そういったありふれた話はみんな知っているもの。
しかし、果たしてこちらの話を知る人はなぜかあまりいないのであった。
今日はその「こちらの話」を少し書き記しておこうと思う。
■知られざる窯
ロイヤルコペンハーゲンの器の中で、白磁器ではない、くすんだクリーム色の陶磁器の類がある。
FAJANCE(ファイアンス)と呼ばれるその製品は、ロイヤルコペンハーゲンのバックスタンプが付くFAJANCEであれば、FAJANCEとバックスタンプに書かれている。
さて、このFAJANCEと呼ばれる製品は、もとはというとアルミニアというデンマークの窯から始まっている。
1862年に設立され、陶磁器をして豊かな色彩を持たせたFAJANCEで有名な窯だった。しかし国内外で人気を博すのはもう少し後の1950年代からで、時代を若干先取りしてしまったのだった。
このFAJANCE製品は、焼成後の冷却で陶土と釉薬の収縮率が違うためにおこる貫入が趣とされ、ひとつとして同じものはないとして買い集める愛好家(コレクター)が続出したのである。
……さて。
意外と知られていていないのが、これだ。
1884年、アルミニア窯「が」当時のロイヤルコペンハーゲン窯を買収。王室御用達のコペンハーゲンを買収したのち、アルミニアは自らの製陶工場の名前をコペンハーゲンとして名称を統一した。
つまり、ロイヤルコペンハーゲンは、FAJANCEの製陶をして生きたアルミニアにより永らえたのであって、しかしここがみな知らないのだ。
■アルミニアの鬱金香
その中でも有名な作品といえば、これだ。
Pic.1 - ロイヤルコペンハーゲン: トランクェーバー(左がS Size、右がM Size)
和名で「鬱金香」というと、チューリップのことだ。
これは当時、デンマークの植民地であった南インドにて、クリスチャン・ヨアヒムというデザイナーが見た一輪のチューリップが描かれている。
そのチューリップは黙して語らないが、その逸話からさまざまな推測をしてこの器を語る人が多い逸品だ。
Pic. 2,3 - 一つ一つが手描き、その器でのみ咲く永遠の花だ。
ちなみにこの花を描いたデザイナー、クリスチャン・ヨアヒムは、アルミニア時代からのコペンハーゲンを成功へと導いたデザイナーの一人として言われている。
さて、実はこのトランクェーバーを「アルミニアの」器として出したのはなぜかというと、理由としては二つだ。
一点目は、これから書く内容の補足を行うにあたって、私の持つわずかなコーヒーカップの在庫では、この器でしか語れなかったから。
そして、もう一点目が本題。
■歴史の証人
ロイヤルコペンハーゲンのFAJANCE製品は、実は1969年のものまではアルミニア窯のバックスタンプがついていた。
今市場に出回っているFAJANCE製品は当然のこと、アンティークを探そうとしてもなかなか1969年以前のものがないので、これもあまり知る人がいない。
Pic. 4,5 - アルミニア窯のバックスタンプ。Aの文字に見える。ちなみにM Sizeのもの
上記の写真のバックスタンプがまさにそうだ。
1969年から先、これが以下のようになる。
Pic. 6,7 - 1969年以降のバックスタンプ。S Sizeのもの。FAJANCEの文字が見える
私の手持ちにそれぞれ時代を跨いだ2つのトランクェーバーがあったので、このような記事を書く気になったが、こうして現物を目の当たりにすると自分の知らぬ歴史を追体験している気分になるものだ。
■アルミニア(Aluminia)の面影
Pic. 8 - 左が1969年以降、右が1969年以前。これがどういうことか、記事を読んだからもうわかるはず
いつの時代もコーヒーはそこにあって、その液体が着飾るドレスがあった。
もちろん我々が生きている今現在だって、我々の生活やライフスタイルに即したコーヒーと、彩を与えるためのコーヒーカップがある。
その営みは30年、50年、100年、200年前と変わらない、コーヒーを愛する我々と、我々に寄り添う黒い液体のためにあるのだった。
私はそんなことを思いながら、見たこともないデンマークの風とアルミニアの窯の暖かさに口をつける。